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そもそも論

国会審議などでよく耳にする「そもそも論」。
原則論や概念論を持ち出して具体的な政策審議を停滞させ、質問に正面から答えない詭弁として用いられるから、「そもそも論」というネーミングにはネガティブな印象が込められている。
しかし、我々ボウリング業界の業界団体では、この「そもそも論」が欠落し過ぎているきらいがある。
事業・プロジェクトをおこなう場合、まず、目的を定め、現在の状況の分析、何をもって成功とするかという評価基準、評価のための効果測定方法などの前提条件を議論したうえで、具体的な施策を決定しなければならない。
こういう前提条件の議論の性質は「そもそも論」と同じだけれど、そういう議論が尽くされていない場合は、そもそも「そもそも論」と呼んではいけない。
会費を徴収し「皆のお金」で事業をおこなうのだから、株式を公開している会社同様、お金の使い方には説明責任がともなっているはずだ。
しかし現実の業界団体は烏合の衆に近く、予算について質問する人はきわめて少ないし、そういう人物は異端視される傾向にある。
「空気が読めなければ」業界団体では孤立するものだ。
なぜ、ボウリング業界で「そもそも論」がタブーなのかを考えてみれば、原則論を持ち出されたらいろいろな矛盾を露呈するからだろう。
業界団体が多くの不満を水面下に抱え、さしたる成果を産み出せない要因はこの「曖昧さ」にあるのだと考えるが、恐らくこの「曖昧さ」と正面から向き合えば、業界団体のいくつかは消滅するだろう。
だったら、一度消滅させてみたらどうだろう。
ほんとうに必要ならば必ず復活するはずだし、それが業界のイノベーションなのだ。
しかし「一度消滅させたら二度と復活しない」という理由で、今でも存続のために努力している人たちが居る。
業界のために心血を注いできた人たちと、その人たちに共感する人たちである。
心情的には大きな説得力を持つこの勢力が、業界変革の足枷になっている姿は、「既に多くの国民を犠牲にしてきたのだから、今さら戦争はやめられない」という太平洋戦争末期の日本の姿に重なる。
「あとにつづくを信ず」と死地に赴いていった愛国者たちのことを思えば、彼らを無駄死にしたくないという思いから、敗勢を受け入れその後の国の再建を議論するなど、空気を読む多くの日本人には出来なかったことだろう。
すべての責任を負う御決心で終戦のご聖断を下された昭和天皇がいらっしゃらなければ、今頃北海道東北地方はロシア領となっていて、群馬・栃木あたりでは脱北者支援のボランティアや闇のビジネスが横行していただろうな。
ともあれ、ボウリング業界に天皇陛下は存在しない。
空気を読みつつ予定調和に終始していれば、強力なリーダーが現れて正しい判断を下し導いてくれることはこの先も無いのである。
もう、ボウリング場が集まって仲良くすることでは、業界の抱える問題点は解決しない。
「そもそも…」と考えることから再スタートしよう。

カテゴリー: ボウリング業界 妄想(笑)

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