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コスパ原理主義を捨てよ

ボウリングビジネスに限らず人生全般において、残念なことに「努力」は必ずしも成果をもたらさない。

成果や成功の要因を突き詰めて考えてみると、「計算通り」と自負したものであっても実は、後でよくよく考えてみると偶然とか幸運という要素が大きかったりする。
目的のために費やした努力の大部分が、実はなんの役にも立っていない不要なものであった、ということも少なくない。
そして成果が得られず、すべてが無駄な努力だったと悲嘆することが、人生には実に多い。
事前の努力なんて、まさしく「下手の考え休むに似たり」だと痛感させられることが多いのだ。

コストパフォーマンス的価値観からすれば、無駄となることが多い「努力」は削減対象だろう。
「損しないこと」を大前提とするコスパ原理主義では、無駄になるかも知れない「努力」は禁忌なのだ。
努力を避け偶然の恩恵を待つだけならば、人生は楽勝ではあるけれど。

実は成果や成功をもたらす偶然を呼び込んだのは、多くの無駄に終わった「努力」の賜物なのである。「努力」は期待した結果を生むとは限らないが、必ずや自分を磨く砥石となっている。
成果・成功のために励む「努力」こそが、成果・成功を生む自分自身を育てるのだ。
そして、自分という「人材」を育てることが、人生の大部分を占めている。

カテゴリー: 経験論