筆者はかつて「東京オリオンズ」だったプロ野球球団を、名前が変わった今でも応援してる。
もう50年になる。
観衆が1000人いるかどうか、という川崎球場にも静岡から応援に行っていた。
翌日の新聞で「観衆1500」とか書いてあると、実態を見てきているので、そのささやかな水増し具合が悲しく愛おしく思えた。
滅多に行けなかったぶん、球場に行けば熱烈に応援していたので、応援団の人に誘われたこともあったけれど、遠くから来ているので頻繁に来れないと言うと、とてもがっかりされたものだ。
当時のパシフィックリーグに対する大衆の認識は、今で言えば韓国プロ野球に対してのようなものだったと思う。
インターネットも無いから、球場で出会う同好の人たちは貴重な存在だった。
普段の生活の中でオリオンズファンと出会うことは無かったし、パシフィックリーグについて語る相手もいなかった。
当時はボウリング業界ではない世界で営業職に就いていたので、取引先との雑談のためにプロ野球情報を集めることも重要な仕事だったけれど、読売ジャイアンツと阪神タイガースをおさえていれば情報に不足は無く、逆にパシフィックリーグのことなど相手を白けさせるので禁句だった。
プロ野球が球場で観るものだった頃は、パシフィックリーグの試合で球場が満員になることもしばしばあったそうだけれど、長嶋選手と王選手を中心にON時代・常勝球団となって、ジャイアンツのナイター中継が時間帯のテレビ視聴率を独占するようになるのと反比例するように、パシフィックリーグは見向きもされなくなっていったようだ。
今はボウリング産業に身を置いていて、ボウリング人気の復興を考える立場だけれど、当時のパシフィックリーグのことに重ね合わせてしまうことが多い。
人気が最悪だった頃のパシフィックリーグは、観客動員力の低下はテレビ中継が無いためだと思っていたようだけど、「巨人阪神」というブランド力はテレビ時代前からあったし、常勝ジャイアンツの強さはプロレス中継での「ジャイアント馬場が最後には勝つ」という図式と似ていて、水戸のご老公が印籠を示して悪人を黙らせるパターンを好んでいた当時の視聴者の嗜好に合致していたのだと思う。
大衆が納得する主人公の属性と実力、同程度の説得力を持った好敵手の存在、そして「かませ犬」「斬られ役」がたまに主人公を危機に陥れるスリル、そういう図式を当時のセントラルリーグは持っていたと思うし、パシフィックリーグは持っていなかった。
かつてオリオンズのオーナーで映画会社「大映」の社長だった永田氏は「一刀斎は背番号6」という映画で、原作ではジャイアンツに入団する設定の主人公をオリオンズに入団させ活躍する作品に仕上げた。
後年、オリオンズに本物の「背番号6の一刀斎」落合博満選手が登場した時に、この映画についてあまり触れられることがなかったから、この映画は忘れ去られていたのだろう。
無論、この映画はオリオンズとパシフィックリーグの人気挽回を狙ったものだろうけれど、ジャイアンツではなくオリオンズという設定が、大衆に受けなかったのだと思う。
そもそも原作はジャイアンツ入団という設定だから、小説として読者に受けたのだと思う。
映画というマスメディアを使ったこの失敗をボウリング業界が学ぶとすれば、誰も知らない未知なものでなければ、マスメディアは既に人気のあるものを利用して稼ぐ商売であり、逆に言えば、多くの人が既に知っていてなおかつ人気の無いものを、マスメディアを使って人気挽回しようとしても良い結果は得られないということだ。
いまだに「テレビ露出」を言う人がボウリング業界にも多く居るけれど、まったく効果が無いとは言わないまでも、間違いなく費用対効果は得られないことを認識すべきだ。
もしもマスメディアを使ってボウリングビジネスの業績回復を考えるならば、大衆にとって未知な部分をボウリングから探し出し、それを大衆の興味を惹くものに加工して見せるとか、従来の点数計算方法とは別のゲーム性を作り出していかなければ、費用対効果を得られないだろう。
未知な部分
カテゴリー: ボウリング業界

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