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「何になりたいのか」と「何をしたいか」について

「何になりたいのか」と「何をしたいか」について、ちょっと考えてみました、暇なので(笑)
子どもの頃によく聞かれたり作文を書かされたのが、「将来、何になりたいか」。
考えてみれば、昭和時代の終身雇用安定期的発想であり、身分固定の封建的発想のような気もします。
「何かになれれば、あとは安心」な時代だったんでしょうか。
幼い頃の私は、「お医者さん」とか「弁護士」とか「新聞記者」など、主にテレビ番組の影響から選択していました。
具体的に何をする人なのかを知りもせずに。
中学生ぐらいからは「漫画家になりたい」と考えるようになり、その後の青春時代をその夢に費やしました。
その夢は叶わず、あと数年で還暦を迎える歳になりましたが、何故叶わぬ夢だったのか、今ではよく解ります。
「漫画家になって何をしたいのか」が実は無かったからですね。
漫画家になるとは、漫画を描いて生計を立てる人生を歩むことですが、私には確固たる主張があるわけでもなく、さりとて、他人を喜ばせようと本心から思ってもいませんでした。
その才能にも乏しかったこともありますが。
作品を見せると、漫画家志望の仲間たちからはお世辞で「上手いね」とは言われても、内容が「面白い」と言われたことは殆どありませんでした。
描いていれば作画技術は上達しますから、「上手いね」と言われても、そこに本質的な価値は無いのです。
「面白いね」と言われなければ駄目だったんですね。
商業漫画家とは、基本的に娯楽作品を作る人ですから。
クリエーターだという自己満足に生きる、漫画オタクに過ぎなかったんだと、今では思います。
もしも技術力だけで「漫画家」というライセンスが取得できるものなら、私もライセンスは取れていたという自負があります。
そして、世間にはアシスタントにもなれずに漫画で生計を立てられない「漫画家ライセンス」所有者が溢れ、私もその中の一人として、「漫画家ライセンス」を取得できたプライドを捨て切れないまま、毎年のライセンス更新料を苦労して工面しつつ、漫画とは無縁の仕事をして暮らしを立てていたことでしょう。
20世紀の終わり頃から自分のWEBサイトで、紙芝居のようなGIFアニメやFLASH作品を発表していましたが、当時はまだインターネットの通信速度が遅く、動画クリエーターが本格的に作品を発表する世界ではありませんでしたので、その不便な環境の中で競争相手も少なかった時代、私の作品はいくつものインターネット関連の雑誌に取り上げられ、小学館発行の別冊DIME「インターネットのカリスマ1000人」に選ばれるなど、鳥無き島の蝙蝠が「俺様が鳥だ!」と誇るが如き状況を経験しました。
(当時の作品を今見ると、拙いレベルに赤面します。)
インターネットという世界で一部の人たちからチヤホヤされて、昔からの夢だった「漫画家になりたい」という思いが満たされてしまいましたので、所詮は他人からチヤホヤされたいだけの目立ちたがり屋志向だったのです、私の「漫画家になりたい」は。
青春時代にしがみついていた自分の夢のレベルがそんなものであったと落胆しつつも、その後ボウリングと出会って、紆余曲折はあったものの現在の生活を手に入れられた幸運に、安堵しているのが正直な気持ちです。
「何かになりたい」という目標を持つことは大切なことだと思いますが、「何をしたいからなりたいのか」というレベルで自分自身を見極めないと、人生を無駄にしてしまうかも知れません。
インターネットや週刊誌で「大臣」とか「社長」の地位にすがり付いている人の記事を読むと、目的があってその地位を目指したのではなく、その地位そのものが目標だったのかな、と思ってしまいます。
だから見苦しく見えるのでしょう。
今でも少なくない数の「プロボウラーになりたい」という若者に出会います。
その夢は尊重してあげたいと思いますが、同時に「で、プロボウラーになって何をしたいの?」と尋ねたい衝動を常に抑えているのでした。

カテゴリー: ボウリング業界 思い出話 経験論

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