
ニコラス・ケイジ主演の『THE FAMILY MAN(邦題「天使のくれた時間」2000年)』は、“もしもあの時別の選択をしていたら…”という人生の岐路に戻って別の人生を体験するというファンタジー映画です。
主人公のジャックは13年前、恋人のケイトと別れて旅立ち、その後ニューヨークのウォール街で成功し、大手金融会社社長として優雅な独身生活を送っています。
そんなある日、別れた恋人のケイトから電話があったことを秘書から伝えられますが、女に不自由していないジャックは、気にも留めずにいました。
クリスマスイブの夜、運転手付のリムジンから降りて、歩いて帰る気紛れを起こしたジャックは不思議な体験をした翌朝、目が覚めると庶民的な暮らしの中で目覚めます。
それは、ケイトとの結婚を選択したもうひとつの人生でした。
この映画が筆者にとって印象深い理由は、ジャックのふたつの人生がそれぞれ、筆者の人生に深く関わっている人種だったからです。
庶民的な人生におけるジャックは、つつましい生活ながら友人に恵まれ、ボウリングが大好きなリーグボウラーでした。
ボウリング場のシーンが出てくる映画というだけでも、筆者にとっては格別な作品となります。
この設定には「セレブ→庶民」というドラマの展開を印象付ける意味があると思いますので、米国におけるボウリングの地位が垣間見えます。
ウォール街のエリート金融マンは、ボウリングとは無縁なのが普通なのでしょう。
さて、もう一方のウォール街で成功し贅沢な暮らしをしている人種とは、ベルリンの壁崩壊からリーマンショックまでの約20年間、金融と不動産に投機して尋常ではない富を築いてきた「あの人種」です。
我が国にも「外資」として上陸してきたファンド(お金の集積)のひとつが、筆者の勤務するボウリング場チェーンを親会社の紡績会社が倒産した時に丸ごと購入しましたので、その世界の人たちを知る機会を得ました。
筆者の勤務する会社を買収した外資系不動産投資会社の社員が、2006年12月に奥さんに殺されたうえに、死体がバラバラにされ新宿界隈に遺棄されるという事件があり、当時子会社だった我々にも箝口令が布かれたことを思い出します。
当時は外資系社員の高額なサラリーへの妬みも世間にはありましたから、妻に殺害されバラバラに切り刻まれた猟奇事件は、マスコミの好餌となりました。
殺害された不動産アナリストの方ともお会いしたことがありますが、いかにも外資系エリートという風貌だったことぐらいしか、記憶にはありません。
週刊誌やワイドショーでプロフィールが暴かれ、殺されても仕方が無かった男として作り上げられましたが、果たしてそうでしょうか。
あの頃の外資系投資ビジネスが破格の高給だったのは事実ですが、非常に厳しい労務環境であり、仲間の足を引っ張る、部下の手柄を横取りする、上司を陥れる、という凄まじい世界のようでしたから、野心と能力が豊富な人たちが跋扈し、筆者から見れば皆驕慢な人間でした。
殺害された方だけが特別だったとは筆者は思いません。
彼の学生時代や不遇時代も根掘り葉掘りとプロファイリングされましたが、青春の蹉跌は誰にでもあることだと思います。
さて、映画の話に戻りますが、元の人生に戻った主人公のジャックは、経済力で手に入れた女性遍歴の中で、真実の愛を手に入れていないことに気づきます。
13年前に別れた恋人のケイトだけを、今でも愛していることに気づいたのです。
巨額のお金を動かす達成感、経済力で手に入る高級スーツ、高級スポーツカー、そして美女たち。
愛する妻子に囲まれた貧しい生活、楽しみと言えばボウリングと友人を招いたホームパーティーぐらいで、仕事は本来の能力を活かしたものとは言えない。
この映画はそのどちらも否定していません。
作品の設定が身近であったぶん、筆者にとって感慨深い映画です。
人生は後戻りできませんから、「幸福」とは何かと比較して決めるものでもないでしょう。
エリートはボウリングをしない
カテゴリー: 妄想(笑)

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