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原理原則

僕は戦前・戦時中の「愛国心」を美しくも幼稚で無邪気と評したけれど、戦後の「平和主義」もまた同様だと考えている。
その前に書いておくと、僕はそんな「愛国心」も「平和主義」も、心情的に好きである。
それでも批判的に書くのは、大衆世論と云うものが、論理ではなく情緒において形成される危うい存在だからなのだ。
大衆が真摯で誠実であればあるほど、原理原則を尊ぶ気風が醸成され、総論の前に各論は駆逐される。
しかし、現実的には「ケースバイケース」で対応していくのが有効なのである。
結果を求められる実務者は、結局ケースバイケースで責務をこなしていくけれど、原理原則を重んじる理想主義者からは、なし崩し的に原則が無視されていると映るだろう。
しかし、その批判もまた、ケースバイケースでおこなわれるべきなのだ。
原理原則とは誤った方向性に掣肘を加える根拠としてその優位性を保つべきではあるが、まず原理原則ありきで選択肢を狭めることは、人を幸福に導く方法ではない。
なぜこんなことを書くかと言えば、日本のボウリング界には古びた原理原則がまだ残っていて、それに縛られているように思えるからだ。
僕が考える原理原則は下記の2点である。
(1)ボウリングをするためにはボウリング場が必要
では、税金を使って公的に存続させるのか、民間の営利事業として存続させるのか、と考えれば後者が現実的だと考えるので、僕はボウリング場経営至上主義を掲げて、ボウリングを守ろうと考えている。
(2)ボウリングを「しないけど見るのは好き」という人はいない
実際は探せばいるだろうけれど、経済効果を産むレベルでは「いない」と断定していいと考えている。
したがって、観戦スポーツとしてプロボウリングを成立させるためには、経済的パワーを産むレベルまで観戦者の源となるボウラーを作ることが最優先なのだ。
それなくして他の施策や各種の情報発信をしても、経済的効果を産むほどのレシーバーがいない。
「プロ」を名乗る以上、経済的効果は必須だろう。
ドリル研究やコーチング研究の価値を否定はしないけれど、それを必要とする消費者を増やすことの優先順位を考えて欲しい。
「P★リーグ」はボウリングをしないファンを獲得している、と言う人が居る。
たしかに、童貞オタクのカメラ小僧がプロトーナメントや女子プロチャレンジの会場で増えた。
しかし、ボウリングをしない彼らのニーズは、身近な女性アイドルだったと思えるので、「P★リーグ」がボウリングじゃなくてもよかったのだろう。
むしろマイナーなボウリングだからファンの人口密度が希薄で、そこに競争力の弱いアイドルオタクが群がっているようにも思える。
ボウリングをするファンの拡大が無ければ、「P★リーグ」の持つべき役割を果たしたとは言えない。
観るべき技術は男子プロのほうに多いと思えるのに、昨今のプロトーナメントの観客が女子に偏っていることを考えると、既存のボウリングファンの目を女子に向けただけにしか見えない。
体格や体力差で男子が参考にならず女子を観る、という考え方は否定しないけれど。
その他はケースバイケースでいいのだ。
日本ボウリング場協会とかJBCとかプロ協会(およびプロライセンス)の存続を前提とする議論は不毛だろう。
議論の中で必要性が再確認できたものを残す、でいいと思う。

カテゴリー: ボウリング業界 妄想(笑)

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