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STAP細胞騒動で考える

STAP細胞の検証についての中間発表がありましたが、実験は成功しておらず、センセーションを巻き起こした論文の共著者たちへの「嘘つき」呼ばわりは、更にパワーアップするでしょう。
既に自殺者が出ています。
しかし今回のSTAP騒動は、かつての姉歯耐震偽装事件ほどに、我々庶民の生活に実害があったのでしょうか。
姉歯事件でも、姉歯夫人が行き過ぎた報道、虚偽のスキャンダルなどに追い詰められて自殺しています。
マスコミが社会的制裁の一翼を担うことは、不祥事の隠ぺいを暴き再発防止に寄与する社会的な装置として必要だと考えていますが、ことにテレビや週刊誌という「報道よりも営利を優先する」ような媒体の取材の行き過ぎや虚偽・ヤラセは、時として「悪」と断罪しても良い場合があると思います。
しかも低俗な報道媒体ほど、権力に弱く弱者を苛める傾向にあります。
有能で失うものの多い人ほど、世間に恥を晒すことに弱いですから、裁かれるべき罪がある場合でも、ニュースをスキャンダルに仕立て上げ商品化することは、有能な才能や弱者を必要以上に追い詰め抹殺する結果を招いてしまう「暴力」だと思います。
姉歯物件は耐震補強工事をしなければなりませんでしたが、結果として東日本大震災でも被害を生まない優良物件となっていました。
STAP細胞騒動などは「こういうことが起きて、結果として仕組みが改善されるのか」という面に目を向けるべきで、やらかした人たちを生贄にして鬱憤を晴らすようなことは、なんの被害も受けていない我々は慎むべきだと思います。
マスコミが商品化した「生贄」の末路に溜飲を下げるよりも、ボウリングをして汗を流すほうが、ずっと健康的な憂さ晴らしになります

カテゴリー: 妄想(笑)

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